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マインドフルネスを広めたティク・ナット・ハンとはどんな人物か

マインドフルネスは欧米ではよく知られており、日本でも関心を持つ人が増えてきました。

マインドフルネスを広めた中心的な人物がノーベル平和賞にも推薦されたティク・ナット・ハンという仏教僧です。

いったいどんな人物なのか、その略歴をご紹介します(2014年で88才)。

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ティク・ナット・ハンは1926年、ベトナムの省都フエに生まれ、16才で臨済正宗柳館派の慈孝寺に出家しました。


得度した時に師匠から「ティク(釈)ナット・ハン(一行)」という名前を授かり入門僧となりました。


この時代に師からは次のように指導されたことがあったそうです。
歩く瞑想でドアに近づき
マインドフルにドアノブに触れ
扉を開けて出て行くように


23歳の時には具足戒を受け僧となりました。 


既にその頃には本も数冊を書き、24歳の時には自ら禅道場を立ち上げ、そこでは西洋的な教育も取り入れて行きました。


この時、ベトナムはフランスからの独立を勝ち取るためのインドシナ戦争のさなかでティク・ナット・ハンも社会的な運動に関わっていくようになりました。


次第にティク・ナット・ハンの活動は多くの大衆を引きつけるようになっていきましたが、
政府からの弾圧も強まっていきました。


1961年、35歳の時、アメリカの名門大学から特別研究員として招聘があり、アメリカに行くことになりました。


アメリカではメディアの取材を受けてはベトナムの停戦を訴え、国連には母国での人権侵害を訴えることも行っていきました。





1963年、ベトナムの仏教界の再生のためにティク・ナット・ハンの帰国が要請されると、彼はこれを受け入れました。


1966年、40歳の時、出家した慈孝寺の師より法灯を授けられ、ベトナム臨済正宗竹林派の第42世法嗣となりました。



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その後、再び渡米した時、全米を回りながら社会的に影響力のある人物たちと会い、その中には黒人のキング牧師もいました。


1967年にキング牧師はティク・ナット・ハンをノーベル賞に推薦しました。


当時、ベトナムは南北に分断されていましたが、彼は南北のどちらにもつかない中立的な立場をとりました。


しかし、そのことによって返って両側から受け入れられず、裏切り者扱いを受けたのです。


1967年にはフランスに亡命し、かの地で平和運動を行いました。


フランスでは土地と建物を所有し、平和活動と仏教を教える組織(僧院)を作っていきました。


僧院には年々多くの人がリトリートに参加し、僧院はフランスだけでなく、アメリカの各地にもできていきました。(*リトリートとは閑静な場所に合宿して、集中的に内面へ向かうものです)


こうしてマインドフルネスを学ぶ人たちがヨーロッパ、アメリカカナダ、オーストラリアに広がっていきました。


1995年には日本にも来られ三週間滞在し、講演と数日間のリトリートを行いました。


2005年、79歳の時にはベトナム政府の招きによって、約40年ぶりに母国に帰国し、数か月滞在しました。


2011年にはアメリカのグーグル本社において1日リトリートを教え(マインドフルネスの学習)、2013年には世界銀行やハーバート大の医学部でも1日のリトリートを行いました。


マインドフルネスは仏教に関心のある人たちだけでなく、ビジネスマンや教育界では創造性の開発を目的として、医療ではストレスの低下などの目的として広がっていきました。


参考文献「ティク・ナット・ハンとマインドフルネス」


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ティク・ナット・ハンの言葉

私たちの意識の本質は、あなたや宇宙の意識と同じです。
望遠鏡でのぞく輝く優雅な宇宙は、
まさにその意識以外のなにものでもありません。
マインドフルネスと集中によって深く見つめる実践をする
あなたの子どもなら、みんなこの「すばらしい観察による知恵」を
育てることができるでしょう。




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